ロッテ新時代~佐々木朗希応援Blog

令和の怪物と称された佐々木朗希。そんな彼を心から応援したい思い、ブログを開設。ロッテのエース、いや球界のエースを目指してがんばれ!

【特集】佐々木朗希は歴史上最高の投手となりうるのか。~金やん、江川との比較~

3年目の朗希が4月10日に完全試合を達成し、17日には8回無安打完全で世界をあっと言わせました。

私は、彼の足を高く上げ、流れるフォームから繰り出されるまっすぐを見て以来、彼の虜になりましたが、「投げない怪物」と揶揄(やゆ)された記事を見てから、彼を真剣に応援したいと思い、1年前にこの応援ブログを開設。

これほど早く、夢のような快挙を達成するとは思ってもみませんでした。

その後、多くの野球界の著名人、OB、野球ジャーナリストたちがこぞって彼の凄さを伝えるような動画やコラムを発信しています。そして、彼は歴史上、日本球界No1の投手になれるのか。といった記事も目にするようになりました。

 

金田正一を超えるのか】

そんな記事を目にしましたが、ちょっと失笑。何をもって超えるというのか基準が分かりませんが、金田氏の400勝という記録を破ることは絶対にありえません。時代が違い過ぎます。打者の技能的能力にも大きな差がありますから、比較すること自体、タブーだと考えています。

金田氏の記録を見てみましょう。(1950~69年、国鉄スワローズ、巨人)

◆勝数:400勝-298敗(日本記録

これは、20勝を20年連続でしないと達成できない計算です。今の時代では考えられませんね、

◆通算奪三振4490個(日本記録

昨年の奪三振王の山本投手の奪三振数は206個。この三振数を22年間続ける計算になり、これもまたあり得ない数字です。金田氏の年間最高数は350個で意外にもこれは3位の記録。1位は江夏氏の401個

連続イニング無失点64回1/3(日本記録

沢村賞3回(最多タイ あと3人いる)

完全試合1回(左投手では4人) ノーヒットノーラン2回 

 

生涯成績で日本プロ野球史上最高投手を決めるとすれば金田正一以外あり得ないし、今後、朗希がMPBにずっと所属していたとしても、越えられない記録の数々です。

その理由は、時代として大きく変わった登板数の違いです。

金田氏の登板数をみてみると、50試合以上が11年あります。最多は68試合も投げており、今の時代なら、2試合に1回投げることになります。だから比較になりません。

金田氏の最多勝利数は1958年の31勝ですが、これはなんとNPB18番目の記録です。年間最多勝利は、スタルヒンと稲尾氏の42勝で、これもあり得ない昔の数字です。

それでも、この凄い時代を入れた歴史の中でも、朗希は、連続奪三振数13(金田氏7)、1試合の奪三振数19(金田氏16)と、日本の歴代最高を記録しました。

金田氏の球速はどうだったのでしょうか。

彼が生前、「おれの球は180キロ出ていた」と豪語する言葉が有名ですが、これはあり得ないことでしょう。でも、彼と対戦した選手の体感と、今のスピードガンに表れる投手の球速を加味すると、多くのOBたちが、160キロ近く出ていたのではないかと証言しています。

とある大学が、2000年、当時の映像から球速を割り出したデータがあり、それが、159.8kmだそうで、かなり信憑性を感じますね。でも、球速は間違いなく朗希が上でしょう。

朗希が、金田氏の記録の数々に近づくことすら無理があると思います。金田氏の残した記録は、それほどまでに今の時代では考えられない記録の数々です。

では、逆に、金田氏がそのまま今の時代に現われ、生きたとしたら、過去のような栄光の記録を作ったでしょうか。

それも考えにくいですね。今の打者の技術や能力、速い球に対する対応を考えれば、もしかすると、完全時代をも難しいかも知れません。そう考えると、過去の金田氏と現代の朗希を比べることは、やはり、タブーのような気がします。

 

【怪物江川の驚異の高校時代】

私は江川の高校時代を知りません。たぶん、高校野球に興味がなく見てなかったからでしょうね。

江川に夢中になるのは、プロ入り後ピークをすぎた、1983年からです。だから、1984年のオールスターでの8連続三振は、今でも鮮明に覚えています。江川はプロ通算で、135勝-72敗と、言うほどの勝ち星をあげていません。それはすでに、高校時代にピークを迎え、肩を壊したからだと言われています。

江川の高校時代を見てみましょう。

公式戦 完全試合2回 ノーヒットノーラン12回 連続145イニング無失点

甲子園通算奪三振数92(8人連続三振) 奪三振率14.0 防御率0.46。

江川氏を語るうえで、伝説となっているのが、高校3年春、甲子園1回戦で対戦した優勝候補の北陽で、事実上の決勝戦と言われました。まだ、試合が始まっていないウォーミングアップどき、江川の投げた球をみて、「おぉおーっ!」と大歓声に包まれました。それから試合が始まり、北陽の選手が4人までバットにかすりもせず、5番打者がようやくファウルを打つと、会場から大きな拍手がおこったそうです。それほど凄かったようですね。

この試合は、19奪三振で完封勝ちをしたそうですが、途中、味方の守備のため、江川は手を抜いたとも言われています。

 

江川の投げる球速はどれくらいだったのでしょうか。

プロ入り後、私が学生時代にすでにTVでスピード表示されており、江川の投げる球は145キロ前後だったと記憶しています。あの掛布氏が、江川との対談で「どうみても150キロを下回る球速とは考えられなかった」と答えています。

2021年12月のGoinngという番組の中で、プロ入り全盛時の1981年の江川の投げるまっすぐの球速を、ライブリッツ社の協力のもと正確に分析したら、158キロという表示がでたそうです。(このときの回転数2700/分は、歴代断トツのようです)

ということは、高校時代最も速かったとする江川の球速は160キロを超えていたと判断するのは、間違っていない気がします。

当時、プロで最もまっすぐが速いと言われた江夏投手よりも、高校生の江川の方が速いのではないかと言ったプロ選手や審判が多くいました。それも間違いではない気がします。

もし、江川が大学に行かず、すぐにプロの道を選んでいたなら、また違った栄光の記録を多く残したでしょうし、沢村賞も何度も取った可能性もあります。

高校どきに限定すれば、江川は、甲子園に行っていない朗希とは、はるかに上を行く歴史上最強で、昭和の怪物であったことは間違いありません。

そんな江川ですが、高校、大学と多投したことが、消耗品とされる肩を早く壊す原因になったことは否めませんね。それでも、プロに入って、今の分析から158キロは出ていたとすると、すごい投手であったことを感じずにはいられません。

では、佐々木朗希が、この2人の上をいくとしたら何でしょうか。

ある専門家は、佐々木朗希が、歴代最高記録を刻むのは、奪三振ではないか、という声があります。

たしかに、これまでの5試合での三振率は15.0で凄い数です。1000投球以上の投手で歴代1位は野茂投手で、10.31ですから凄さが分かりますが、まだ5試合ですし、前回は4個でしたから、どうなんでしょうね。

 

こうしてみると、佐々木朗希が歴代最高投手と言われるのは、今の時代に生きて、そしてこれからの活躍次第ということです。

追いつけない記録は多いですが、私はプロ野球史上、最高のプテンシャルを持っていると思っています。だから、彼は、もう一度完全試合を達成するのではないでしょうか。そんなとき、人類で初めての快挙と言われるのでしょう。

 

また、彼には、異次元の160キロ台のまっすぐを持っています。これからまだまだ伸びていくでしょう。投手はスピードを競う競技をやっているわけではないですが、いずれ166キロを超す日が来ると信じています。

 

なんといっても、朗希自身のプロ入り後の一番の目標は沢村賞です。江川の取れなかったこの賞を取るまで、メジャーには行ってほしくないですね。

さあ、いよいよ5月6日ナイター登板です。

11日間の休息で、上体も良いと聞いています。ソフトバンク打線に対して、どんな投球を見せるか今から楽しみで仕方ありません。

 

当ブログをご覧の皆様、応援をおろしくお願いいたします。

 

ではまた(*^^)//

 

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